Momiji-Kusuharaの日記

〜工事中〜

利己的とは悪いことなのでしょうか?

http://p.twpl.jp/show/orig/SsNIw

画像引用元:ついっぷる

なつかしやぁ。。。

今期のアニメ、魔法陣グルグル(2017)の無印?初代?は1994年に放送されていたそうです。

僕は1996年生まれなのでまだ生まれてませんね。(*´ω`*)

しかし、この昔の方のグルグルを小学校になる位の時ビデオで見てました。(この頃はVHSでDVDが出てくるのは数年後だったかと思います。)

なので、昔のグルグルを思い出しながら、感傷に浸っていたのですが昔、先生に言われたことを思い出しました。

それは「利口と利己的は全く違う」と言うものでした。当時は感覚的には「同じことじゃないかな?」と思っていた気がしますが、説明は出来ずに終わったと思います。
今考えても、意外と議論を呼びそうだな、と思ったので自分なりの考えを書きたいと思います 

1,意思決定について


まず、利己的とはなんだろうか?それは自分に最も利益が有ることをすることだろう。
これだけ書くとまるで井の中の蛙みたいですね。
じゃあ、利他的とはなんだろうか?それは自分の利益を重んじないことだろう。
ここで、「利益」とはなんで有るか考えると、それは物質的なものと精神的なものがあります。
しかし、物質的な利益が有るのは結果論に過ぎない。それは、利益の有無を評価するのは当人の精神だからです。
ここで、「利他的」について考えると、他人にとっての利益とはなんであるかが重要だと思う。
君達は他人にとっての精神的利益を推し測れるだろうか?測れると言う主張は傲慢ではないだろうか?
もちろん、傾向なら誰にだって分かるだろう。魔法のランプに願いごとを言わない人なんて、私の知ってる限り1人しかいない。
問題は、利他的な意思決定は他人にその選択をさせている点じゃないだろうか?
つまり、自己の行動の責任(私はこの言葉が嫌いだ)を他者に置いているのではないか。
逆を言えば、利己的とは全責任が自分に有るはずだ。
相手のためだと自分が思い、それがやりたいことだからやっているというスタンスの方が望ましいと思う。

 

2,根本的な理由

そもそも利他的なんて存在するのでしょうか?
これは利己主義 - Wikipediaをそのまま引用させてもらうと
"「人の行為は自分自身の利害に動機付けられるべき(ought)である」"
という利己主義の論理の反証が出来るのか?ということです。
人間は詰まるところ、自分の天秤に掛けて物事を判断しているのではないか?
他人の利益は結果論であり、それはその選択が最も利益が有ったからではないか?
要は、募金をするのはその方が気分が良く、少ない金銭と自分の精神的利益を天秤にかけただけの行為ではないか?
無理矢理やらされていると思っている事柄も、やらなかった時のリスクと天秤に掛けているのではないか?と思うわけです。

この世に偽善以外の善が有るのか?
(もちろん、私は偽善を肯定的に見てます。善行において重要なのは誰かが助かったという結果だと思うからです。)
つまり、利他的とはヒロイズムであり、この世に存在しないものではないか?

 

3.つまるところ。。。

利口な行いや人は、それが利己的で有ることを自覚している必要が有ると思います。

そういう発想で物事を考えた方が嘘が無いでしょうし、後悔も少なく出来ますし、何より格好良いと思います。

ということで、みんなも魔法陣グルグルを見よう!

guruguru-anime.jp